日本のコンテストの手本となったドイツのコンテストについて、ドイツ環境支援のプロジェクト最終報告書をもとに概観しておきたい。ドイツの市町村を対象に「自然・環境保護の連邦首都(環境首都)」を選出するコンテストは1989年から1998年まで、ドイツ環境支援(Deutsche Umwelthilfe e. V.)が主催し、ドイツ環境自然保護連盟(BUND)、ドイツ自然保護連盟(NABU)などの環境NGOや全国都市連絡協議会等の自治体の協議会も実施に協力をした*。
コンテストのコンセプトは「戦略としての競争」、市町村を自然・環境保護の分野で競い合わせるというものであった。参加した自治体は9回のコンテストで延べ1,356にのぼる。そのうち多くの自治体は繰り返し応募しており、実質630であった。優勝して「自然・環境保護の連邦首都」になった自治体には、たとえ賞金は出なくともドイツ中の注目を集め、自然と環境に関わる分野の政策と行政が強化されるという、賞金よりもはるかに大きなメリットがあった。
参加した市町村
自治体の環境保護コンテストに意義があることは、自治体財政が圧迫されている時期にあっても、参加自治体数がコンテストの回数を追って伸びたことによって裏付けられた。第一回のコンテストに参加したのは30自治体だったが、最終回の1998年には220を越える市町村が参加した。1994年に参加者数が著しく伸びたのは、主に1993年にプロジェクトをプロ化したことによる。ドイツ連邦環境基金の助成により、専任のプロジェクトリーダーを置くことが可能になったのである。同時にドイツ都市会議も協力パートナーに加わり、市に対してコンテストの信頼性が大きく高まったことも要因である。
9回のコンテストに参加した自治体の多くは人口1万人から5万人規模であった。これはすなわちドイツの自治体で最も大きな割合を占める市町村規模である。このコンテストは中規模・小規模の市町村には不利という批判がある一方で、その規模の自治体の参加も高い割合に上っている。
コンテストの形式
コンテストは調査票に答える形で実施された。コンテストでは環境保護の一部分だけを評価するのではなく、自治体の環境保護に関連する領域すべてについて質問している。これほど広範囲にわたって評価するコンテストはまず世界的にも例をみないものであった。また1995年と1997年には部門別コンテストとして「自然保護の連邦首都」と「温暖化防止の連邦首都」を選出した。これによって、ドイツ環境支援は環境保護の現状を改善するという課題に取組んだのである。またこれは、上記部門での取組みが十分に重視されていない、という自治体に対する批判でもあった。これらのコンテストでは、自治体における環境保護および自治体が取り得る対策について最新の情報を伝えるという調査票の機能が特に重要となった。
環境首都コンテストの質問票表紙
総合1位=環境首都に選ばれた自治体
- 1990年 エアランゲン市
- 1991年 エアランゲン ネツテルスハイム村
- 1992年 フライブルク市
- 1993年 ネツテルスハイム村
- 1994年 エッカーンフェルデ市
- 1995年 バート・エインハウゼン市(自然保護部門)
- 1996年 ハイデルベルク市
- 1997年 ミュンスター市
- 1998年 ハム市
自治体コンテストが市町村に与えた効果
ドイツ環境支援では、1998年にアンケートを実施し自治体コンテストの効果と影響について調査を行なった。それによると以下のようなことがあきらかになった。コンテストに一回以上参加した市町村が217、うち75%はコンテストにより内部的、外部的効果があったと答えている。(効果が大きかった順に、それぞれの効果を以下に挙げる)
<内部効果>
- 環境活動の必要性、不足が認識された
- コンテストを通じて具体的プロジェクトや行動プログラムを起草し、実施した
- 行政内で環境問題に対する関心が高まった
- 行政内で環境活動に対する評価が高まった
- 自治体における環境保護のこれまでの方針を確認できた
- コンテストを通じて環境行政の自意識が高まった。
その他、環境行政内に期限付きで設けられていたポストが正式なポストに変更されたことを、自治体コンテストが要因であるとした自治体も多かった。
<外部効果>
- コンテストは公的影響があり、市民だけでなく近隣自治体が抱く市のイメージ向上に役立った
- 地域の環境団体との協力活動がコンテストにより強化、改善された
- 市民により行政の環境活動が受け入れられるようになった
- 政治関係者も環境活動により良く参加出来るようになった
- 他の自治体行政との情報交換が行なわれた
さらに、コンテストに積極的に参加しない場合でも多くの市町村が調査票の手法を利用していた。自治体の環境保護において可能な対策の概要を把握したり、具体的なプロジェクト、コンセプトを促進することに、調査票は役立っていた。
受賞による影響
環境首都のタイトルを得たことによって各都市が得た最大の効果は、政治、行政、市民の環境行政の業績に対する評価が著しく上がったことだった。これは各責任者が上げた成果が認められたということであり、仕事に対するはっきりとしたモチベーションが持てるようになった。上位入賞した他の自治体でも、同様の効果が見られた。環境首都になった各都市は、自治体の環境活動の長所・弱点を行政内で分析するために調査票の結果を利用していた。様々な質問領域や特定の質問に対する他の都市の成果と、自身の成果を比較することもしていた。政治に対しては、特定の問題により良い対応をしている都市の事例と共にこれらの比較結果を示し、論拠の一つとして使っていた。フライブルク市でも、この方法で政治への要求がなされた。
※この項目については、ドイツ環境支援「プロジェクト最終報告書」より抜粋し構成した 翻訳:大谷恵子(環境市民)
*ドイツ連邦「自然・環境保護の連邦首都」に選ばれた自治体 1989:エアランゲン市 1991:エアランゲン市、ネッテルスハイム村 1992:フライブルク市 1993:ネッテルスハイム村 1994:エッカーンフェルデ市 1995:バート・エインハウゼン市(自然保護部門首都) 1996:ハイデルベルク市 1997:ミュンスター市(温暖化防止部門首都) 1998:ハム市